大和盆地に都のあった時代と、それが平安京に移ってから以降の時代とでは、明らかに時代の雰囲気が変わる。国際色豊かな時代から国風文化の時代へというのもその変化の一つだ。ではなぜ、都の位置が変わるだけで、政治も経済も文化もその様相を変えるのか。その秘密を探るのには、実は聖武天皇による、平城と平安京の間に位置する恭仁京建設の意義を探らなくてはならない。藤原広嗣の乱の勃発を受けて聖武天皇は、天武天皇の足跡を追うかの如く東国巡幸に出かけ、平城には戻らず恭仁京に入る。そしてそこで行基と出会う。それは何故か。考えてみたい。
【パネラー】
西村さとみ(奈良女子大学副学長)/古代遷都論の立場から
小路田泰直(奈良女子大学特任教授)/国家論の立場から
【コメンテーター】
斉藤恵美(奈良女子大学特任助教)/「大仏について」仏教史の立場から
大久保徹也(徳島文理大学教授)/「考古学から見た南山城」考古学の立場から